プロフィール

初めまして。Shomieと申します。広島県広島市に住む27歳男性です。私の経歴や自己紹介は以下の通りです。

【経歴】

経歴のまとめ

✔ 幼少期:元気いっぱいの目立ちたがり屋

✔ 学生時代:勉強嫌いだが野球、相撲、資格勉強に熱心に取り組む

✔ 社会人時代:政治記者、行政書士事務所を経て働きたくなくなる

幼少期

私は1998年に広島県広島市で生まれました。保育園時代は活発な園児だったと思います。保育園では泡立った泥水をビールだと言って母親のと先生の前で飲んだり訳の分からないこともしていました。母さんと保育園の先生には死ぬ気で止めてほしかったです。

小学校時代は活発さに加え、目立ちたがり屋な面も出てきたと思います。今も目立つことは嫌いではないです。私はADHD気質が強いと思っているのですが、当時から落ち着きはなく、常に動いたりしゃべっていたりしていました。目立ちたがり屋なところでいえば小学2年生のとき、りっちゃんのサラダというお話の劇を学年でするとなったとき、話にでてくる白熊の郵便局員というキャラクターが劇に登場する予定はなかったにも関わらず、私はそのキャラクターの出演とその役のポストを要求したりしていました。あと授業中におならが出そうになったら挙手して廊下まで出て行っておならをしたり、お楽しみ会と呼ばれるクラスでミニゲームなどをする時間では、お笑い係として出し物を披露していました。

中学・高校時代

中学生になると小学生のときとはうって変わって、まじめ風な生徒になったと思います。これは姉が広島県の進学校の高校に進んだため、なぜか自分もそこに入りたいと思い、悪い内申点をとるわけにはいかないと思ったからです。ですが、相変わらず落ち着きはなく喋りまくっていたと思います。まじめ風だったので1年間生徒会に入ったりしていました。生徒会は生徒の自主性をうたっていましたが、経験してみるとあそこまで教師の傀儡のような組織はないなと思いました。小学校高学年のときからソフトボールを始めていたので、中学校では野球部に入りました。小学校のときはヘタクソで卒業までヒットは1本も打てませんでした。ですが、中学校では自主練をしたり母親に練習に付き合ってもらったりして、試合に出られるようになりました。

高校は姉の進んだ進学校に進むことはできたのですが、高校では勉強をしなかったので落ちこぼれてしまい、加えて野球もあまりうまくなかったのでよく怒られたりしていて、それまでの人生とは打って変わって少し悲しいイメージの思い出です。ただ、ここで出会った友人たちは皆優しくいい出会いだったなと思っています。

浪人~大学時代

勉強はできなかったのですが、目標だけは高く医学部志望だったので浪人をしました。授業ではなく自学自習こそ高いコスパで学力をあげられると思っていたので浪人仲間がほとんどいない東進ハイスクールを受講しました。授業料はふつうの浪人の1/4くらいに抑えられたのですが、みんなと同じ大手予備校に通わなくて本当にいいのか……とめちゃくちゃ不安になったことを覚えています。浪人した1年間は私の人生でもっとも辛い1年でした。勉強をしなければならないのですが、勉強は嫌いなので現実逃避をすることを繰り返し、なんでおれは現実逃避をしてしまうんだ……と自分を責めていました。医学部志望はあきらめ、理系の学部にしました。結局浪人の最後まで現実逃避グセは抜けず、当時のセンター試験と二次試験の直前はどちらも2週間ほど全く勉強せずに臨みました。二次試験の数学は試験時間が2時間あったのですが、前半の1時間は私はなぜ勉強をせず、この試験に臨んでいるのか、私は将来何がしたいのかといった内容を問題用紙の裏に書き続け、全く問題を解いていませんでした。ですが、なんとかドベから2番目の成績で一応の志望校に合格できました。

浪人のときくらいから家族と時々衝突するようになっていたので、大学では実家を離れて下宿生活を始めました。部活は相撲部に所属しました。指導者がおらず先輩も優しかったので悠々自適に楽しく相撲をとることができました。理系の研究者になりたかったのですが、相変わらず勉強のほうはからっきしでやる気もなかったので提出物の不備によって留年してしまいました。留年によって生じた暇な1年を使って不動産鑑定士という資格を取ろうと思い、勉強をして1次試験は合格できたのですが、2次試験のハードルが高く、大学卒業のタイミングで受験を断念しました。

社会人時代

本当は不動産鑑定士試験に合格して、不動産鑑定士として就職したかったのですがそれができなくなったのでもう一度就職先を考えることになりました。家庭の政治信条が珍しかった影響もあってか、学生時代から政治に興味があったので、政治に関われる仕事を探してみたところちょうど東京のテレビ局の政治記者の求人が派遣社員ではあったのですが見つかったのでそこに応募してみたところ採用してもらえました。政治記者としての仕事内容は当時の岸田総理の面会相手をウォッチして、その情報を政治部全体に共有したり岸田総理に関するニュースの原稿を時々書いていたりしました。働き始める前はいつか局の正社員になれるのではないかという淡い期待を抱いていたのですが、色々な人に聞いてみるとそれは難しそうだと分かったり、記者という仕事はかなり勤務時間が長くずっとはしたくないなと思い始めました。

政治を記者としてウォッチするのではなく、実際に議員としてプレイしたらきっと楽しいのではないかと思い、いつか地方議員になりたいと思い始めました。調べていくと地方議員は税理士や司法書士などの士業と呼ばれる仕事と親和性が高いことを知り、士業のなかでとっつきやすそうな行政書士の資格試験の勉強を独学で始めました。記者の仕事を約1年で辞めて、次は東京の行政書士事務所で事務員として働き始めました。ここは社長以外に事務員が約10人いるのですが全員女性でした。ADHD気質があり、なおかつ集団行動のようなフツーの行動ができない私は仕事をうまくこなすことができず、事務所内でいがみあっていた2人のお局様の両方から嫌われてしまい事務所で人権を失ってしまいました。あまりにも毎日怒られるので辞めようと思い、社長にそれを伝えようとしたところ辞意を伝える寸前、タッチの差で社長から事務所を辞めてほしいと言われました。あのときばかりは悔しかったです。行政書士事務所で働いた期間は1年弱でした。

無職時代

行政書士事務所で働いているときから行政書士試験の勉強は続けていたのですが、働きながらだとまとまった勉強時間を確保するのが難しいので、ならばいっそのこと無職で勉強に集中しようと思い、1年弱アルバイトもせず資格の勉強だけしていました。もちろん現実逃避もしながらでしたが、なんとか試験に合格することができました。合格後は行政書士として働きつつ地方議員を目指そうと思っていたのですが、色々あった後、10年以上とか長い期間行政書士や議員として働くのも大変だと思い始め、昔から考えていた老後は山で隠居生活を大幅に繰り上げて、もう実現してやろうと思い始め現在に至ります。現在はウーバーイーツなどのアルバイトで細々と収入を得ています。

【なぜ自給自足を目指すのか】

ズバリ働きたくないからです!自給自足も労働は発生するのですが、少しずつ労働量を減らしていって余暇時間を増やしたいです。余暇時間では本を読んだり、旅行に行ったり、はたまた農業や仕事をしたりと、その時にやりたいことをやろうと思っています。詳しくは以下の記事に書いています。

自給自足がしたいワケ
働きたくないから自給自足を目指す。なぜFIREではなく自給自足か? 27歳男性が自給自足生活を実現するまでの日常ブログです。

【このブログについて】

このブログでは主に私が自給自足に近づくまでの道のりを紹介していきます。他にも思ったことや趣味などについても書いたりします。読者の皆さんからのコメントが励みなので、コメント、メールをバンバンください!!

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